2009年06月26日

だが2004年に入ると攻撃の対象が拡大し

だが2004年に入ると攻撃の対象が拡大し、連合国暫定当局が設置した新しい警察や新しいイラク軍を標的とする事件が増えた。これらで犠牲になる者はほとんどがイラク人で、残党たちはアメリカ軍への攻撃に加えて、新体制の象徴たるものの破壊を狙ったと考えられる。また、民間外国人を狙った誘拐事件も頻繁に発生し、日本人民間人も被害に遭った。これらはイラク国内の武装勢力によるものと思われ、誘拐した人質と引き換えに軍を撤退させるよう要求するのが手口であった。ただ、彼らは宗教指導者の呼びかけに応じることも多かった。
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2004年4月にはファルージャで反米武装勢力とアメリカ軍の間で、占領後初めての大規模な戦闘が起こった(ファルージャの戦闘)。また、この頃から南部でもシーア派イスラム教徒が反米抗議を行うことが増え、一部の過激派が攻撃を加えた。更に、5月に米兵によるイラク人捕虜虐待が明るみに出ると、この反米運動は全国的な広がりを見せるに至る。6月に暫定政権が発足し、体制の構築が進むと、それに対応して攻撃も行われた。この頃から攻撃は無差別性が際立ち、大都市中枢などで一般市民を狙ったと思われるテロが相次ぐようになる。無防備ないわゆる「ソフトターゲット」と呼ばれる標的を狙うことについては、残党による手口だとは考えにくいと当時から囁かれた。また、この頃から、アルカーイダ系の武装集団がシリアやイランを通じて大量にイラク入りしていると報道された。

さらに、南部に多いシーア派の過激派民兵が8月に武装蜂起し、南部最大の都市バスラを中心に米英軍と戦闘となった。シーア派民兵はムクタダー・サドルに率いられ、組織的な戦闘を行ったが、民兵側の犠牲が相当数に上り、イラク・シーア派の指導者アリー・シースターニーの停戦呼びかけに応じ、1ヶ月ほどで沈静化へ向かった。

2009年06月10日

メタノールの致死量に関しては様々な報告があり

メタノールの致死量に関しては様々な報告があり、個人差が大きいと考えられるが、ヒト、経口での最小致死量は0.3-1.0g/kg程度であると考えられている。ヒトを含む霊長類の場合、メタノールはアルコールデヒドロゲナーゼによってホルムアルデヒドに代謝され、さらにホルムアルデヒドデヒドロゲナーゼによってギ酸に代謝される。ホルムアルデヒドの体内半減期はおよそ一分であり、ホルムアルデヒドからギ酸への代謝は迅速に行われるため、ホルムアルデヒドによる毒性はほとんど問題にならない。メタノールの毒性はギ酸による代謝性アシドーシスとニューロンへの毒性によるものである。ギ酸の代謝能力は種によって異なっており、げっ歯類に比べてギ酸の代謝能力に劣る霊長類はメタノールの毒性が強く出ることが知られている[2]。

メタノール中毒による症状としては、目の網膜を損傷することによる失明がよく知られている。これは、ホルムアルデヒドがスコトプシンと結合してしまう(本来は同じアルデヒドであるレチナールがスコトプシンと結合してロドプシンを形成する)ことによって、桿体細胞を破損するためである(ギ酸が原因ではない)[要出典]。サザエさんの中でカツオが、書初めで「メチール」と書いて、波平がメチルアルコールを呑んでいる事を揶揄したエピソードもある。 また、ギ酸がミトコンドリアの電子伝達系に関わるシトクロムオキシダーゼを阻害するために視神経毒性が現れるとする意見もある
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メタノール中毒は、取り扱い時の吸入、故意の摂取、誤飲などで起こる。日本では、酒の成分であるエタノールには酒税がかかるが、メタノールなどを加えて変性アルコールにしてしまうと非課税になったという事情が関係している。第二次世界大戦後の混乱期には安価な変性アルコールを用いた密造酒が横行した。メタノールがエタノールより沸点が低いことを利用し、加熱処理でメタノールを分離したものを密造酒の原料とするのであるが、加熱中の吸入事故や、処理の不手際、目減りを惜しんで加熱が不十分だったためメタノールが分離しきれていない酒が出回り、中毒を引き起こしたのである。失明者が多く出たことから、メタノールの別称である「メチルアルコール」を当てて「目散るアルコール」や、その危険性を象徴してバクダン等と呼ばれた。貧困が蔓延していた時代は、このような危険なものでさえ需要があったのである。

2009年06月07日

平安時代、大鎧が用いられる頃になると矧板鋲留鉢

平安時代、大鎧が用いられる頃になると矧板鋲留鉢がその製作の簡便さからよく用いられるようになり、鋲頭を星と呼ばれる突起物で装飾した星兜が隆盛し後室町時代まで一般に用いられるが、南北朝時代からは星を用いない筋兜が見られ、室町時代に全盛期を迎えるようになる。

こうした兜は顔面を覆っておらず、兜で守られていない顔面部は内兜とよばれ、弓で射るべき対象の一つとされていた。 この弱点を補うために錣を折り返した吹返が誕生した。
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また、平安時代から鎌倉時代までは、こうした兜鉢の頭頂部に天辺の穴(てへんのあな)と呼ばれる4-5cm程の穴があいていた。 当時は髪を結い髻をつくって烏帽子を被り、天辺の穴から烏帽子を被せた髻を出していた為で、平家物語にはこの穴より矢を射かけられぬよう注意を促す一文がある。

髻を結わぬようになるとこの穴は縮小されるようになるが、装飾として、または息出しの穴と呼ばれたように、頭部が蒸れるのを防止する等の効用もあり、完全には消滅しなかった。

室町時代の終わり頃から浮張の発達により阿古陀形兜のような斬新な形状の兜があらわれた。 群雄割拠する戦国時代においては、鉄板を打ち出して兜そのものを奇矯な形にしたり、張貫とよばれる張子を取り付けて威容を誇るなど、さまざまな意匠を凝らした兜が登場し、こうした兜を総称して当世兜と呼んでいる。

この時代になると吹返はその意義を失い、装飾的に取り付けられるに留まる。

2009年04月23日

尚歯会(しょうしかい)

尚歯会(しょうしかい)とは、江戸時代後期に蘭学、儒学者など幅広い分野の学者・技術者・官僚などが集まって発足したサロンであり頭脳集団(シンクタンク)の名称。主宰は遠藤勝助。

メンバーは高野長英、小関三英、渡辺崋山、江川英龍、川路聖謨などで、シーボルトに学んだ鳴滝塾の卒業生や江戸で吉田長淑に学んだ者などが中心となって結成された。

当初は天保の大飢饉などの相次ぐ飢饉対策を講ずるために結成されたといわれる。従来の通説では西洋の学問を中心にした集まりとされたが、主宰の勝助は儒学者であり、蘭学に限らない、より幅の広い集団であったようである。

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鎖国下の当時、西洋の学問を学ぶことはある程度容認されていたが、幕府によって制限が設けられていた。そのため表向きには『歯を大切にする』という意味の『尚歯』を会の名前に使い、尚歯会と名乗って高齢の隠居者・知恵者やそれを慕う者の集まりとした。

尚歯会で議論される内容は当時の蘭学の主流であった医学・語学・数学・天文学にとどまらず、政治・経済・国防など多岐にわたった。一時は老中水野忠邦もこの集団に注目し、西洋対策に知恵を借りようと試みていた。しかしこれが災いして、幕府内の蘭学を嫌う保守勢力の中心であった鳥居耀蔵によって謀反の濡れ衣を着せられ、解散させられる。

特に長英は投獄後に脱獄し、逃亡の果てに捕り方によって殺害され、三英は逮捕をおそれて自殺、崋山は禁固(蟄居)後に自ら切腹するという悲劇的な最期を遂げる。この一連の出来事は蛮社の獄と呼ばれ、近年までは江戸時代における一大思想弾圧事件として取り扱われていたが、上述のように実態は鳥居による政敵とみなされた者への排除のための冤罪事件といえる。蛮社とは尚歯会の蔑称である。ただし、主宰の勝助は処罰されていない。

尚歯会そのものは僅かの期間で消滅したが、その思想や遺志は江川や川路などの幸運にも生き残ったメンバーによって伝えられ、幕末の日本において勝海舟や佐久間象山など進歩派に大きな影響を及ぼすことになる。

2009年04月22日

マヤ文明

マヤ文明(まやぶんめい)とは、メキシコ南東部、グアテマラ、ユカタン半島などいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明である
大規模な都市遺跡が築かれ始めたのは、形成期後期 (先古典期後期)からで、いわゆる「中部地域」で、現ベリーズのラマナイ(Lamanai)、グアテマラのペテン低地に、エル=ミラドール(El Mirador)、ナクベ(Nakbe)などの大都市遺跡が建設され、繁栄した。古典期(A.D.300?900)にはティカル(Tikal)、カラクムル(Calakmul)などの大都市国家の君主が「優越王」として群小都市国家を従えて覇権を争った。「優越王」であるティカルとカラクムルの王は、群小都市国家の王の即位を後見したり、後継争いに介入することで勢力を維持した。各都市では、巨大な階段式基壇を伴うピラミッド神殿が築かれ、王朝の歴史を表す石碑(stelae)が盛んに刻まれた。

しかし、9世紀頃から中部地域のマヤの諸都市国家は次々と連鎖的に衰退していった。原因は、遺跡の石碑の図像や土器から、メキシコからの侵入者があった、北部地域に交易の利権が移って経済的に干上がった、など有力な説だけでも多数あるが、古典期後期(A.D.600?900)の終わり頃の人骨に栄養失調の傾向があったことが判明しているため、焼畑(ミルパ)農法や建造物に使用する漆喰を造るために、森林伐採を行い続けたため、地力の減少によって食糧不足や疫病の流行が起こり、それによる支配階層の権威の失墜と、数少ない資源の奪い合いによって戦争が激化したことが共倒れを招き、衰退に拍車をかけたと考えられている。

一方、古典期後期(A.D.600?900)からユカタン半島北部などを含む「北部地域」でウシュマル(Uxmal)、チチェン=イッツァ(Chichien Itza)などにプウク式(Puuc Style)の壁面装飾が美しい建物が多く築かれた。

標式遺跡は、グアテマラ、ペテン低地に所在するティカルの北方のワシャクトゥン遺跡である。先古典期中期から古典期後期までの時期区分名が用いられる。他の遺跡にも独自の時期区分がありつつも比較検討のためにワシャクトゥンの時期区分名が使用される。ただし、ユカタン半島北部やグアテマラ高地の遺跡には適用されない。

先古典期中期後半(マモム期)、先古典期後期(チカネル期)、古典期前期(ツァコル期)、古典期後期(テペウ期)

久兵衛 弁慶国内 ユニット ノール とうもろこし レーズン おっくう ジャル パイダー デザート カメオ 四ツ溝柿 ドヤム ハマー ジグ ブルー フライス デリー トレイル 養老 チロリ パンテ スパイラル ティッカー イール シドニー ハナタ フィッ ノンド キーロガー シャワ バクー国内 プレーヤー ピエタ タリン 白い香 オリーブ ライプ カップル 眠り姫 ネブラ リンス 待ちぼうけ ワースト スマート フリーレ ドックス デッサン ズバー

後古典期(A.D.900?1524)には、マヤパン(Mayapan)やコスメル島(Cozmel Island)が、カカオ豆やユカタン半島の塩などの交易で繁栄した。

統一国家を樹立することなく、各地の都市国家が合従連衡と興亡を繰り返し、16世紀、スペイン人の侵入を迎えた。1697年最も遅くまで自立を保っていたタヤサルが陥落、マヤ圏全域がスペイン領に併合された。

マヤ文明の特徴
マヤ文明の特徴として、以下のような点が挙げられる。

青銅器や鉄器などの金属器をもたなかった
生贄の儀式が盛んであった
車輪の原理は、土偶などの遺物に出てくるにもかかわらず、実用化しようと考えていなかった
牛や馬などの家畜を飼育しなかった
とうもろこしの栽培のほかにラモンの木の実などが主食だった
焼畑(ミルパ)農法や段々畑・湿地で農業を行った
数学を発達させた(二十進法を用い、零の概念を発明した)
文字種が4万種に及ぶマヤ文字を使用していた
持ち送り式アーチ工法など高度な建築技術を持っていた
極めて正確な暦を持っていた(火星や金星の軌道も計算していた)
多くの文明は河川の水の恵みにより発展してきたが、マヤ文明はセノーテとよばれる天然の泉により発展した
農業技術については、段々畑で作物をつくり、湿地では、一定の間隔に幅の広い溝を掘り、掘り上げた土を溝の縁に上げその盛り土の部分にカカオなど農作物を植えた。定期的な溝さらえを行うことにより、肥えた水底の土を上げることによって、自然に肥料分の供給をして、栽培される農作物の収量を伸ばすことができた。この湿地利用によく似た農法としてメキシコ中央部にはチナンパという湿地転用農法があるので、その方法を移入した可能性を指摘する研究者もいる。

数字は、点(・)を1、横棒(?)を5として表現したり、独特な象形文字で表現された。

マヤのカレンダー
マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていた。一つは、一周期を260日とするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。もう一つは、一年を365日とするハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーである。約52年で、ツォルキン暦とハアブ暦の組み合わせが一巡する。これをカレンダー・ラウンドという。紀元前3114年に置かれた基準日からの経過日数で表わされた、長期暦(ロング=カウント;Long Count)と呼ばれるカレンダーもあった。石碑、記念碑、王墓の壁画などに描かれていて、年代決定の良い史料となっている。この暦は次のように構成されている。

キン(1日)
ウィナル(20キン)
トゥン(18ウィナル、360キン)
カトゥン(20トゥン、7200キン)
バクトゥン(20カトゥン、144000キン)
ハアブ暦の閏については、そのずれを調整しなかったが、新月が全く同じ月日にあらわれるメトン周期(6939.6日)を把握していたことが、ドレスデン・コデックスやコパンの石碑に19.5.0.すなわち360×19トゥン+20×5ウィナル=6940キン(日)の間隔を記載することによって実際には季節のずれを認識していた可能性やパレンケの太陽の神殿、十字架の神殿、葉の十字架の神殿の彫刻に長期暦の紀元の記載とハアブ暦と実際の1年の値である365.2422日との差が最大になる1.18.5.0.0.(長期暦の紀元から約755年経過した時点)の記載があり、これもマヤ人が1年を365日とした場合の季節のずれを認識していた証拠とも考えられる。

では、マヤの人々は一年を何日と考えていたのだろうか。かっては、現在通用しているグレゴリオ暦の365.2425日(400年間に97日の閏日)よりも真値に近い、365.2420日がその答えとされていた。これは、化学工学技術者のジョン・E・ティープルが1930年代に唱えた決定値理論と呼ばれる説で、アメリカのマヤ学の権威とされたエリック・トンプソンが認めたため、現在でも流布している説である(八杉1982,pp.31-2,コウ/増田、武井・徳江訳2003,pp.187-192,p.254)がその誤りが判明している。実際に残されていた記録を探ると365.2421日(3845年間に931日の閏日)、365.2417日(3898年間に942日の閏日)といった日数が算出され、マヤの人々が得ていた日数は必ずしも精度が高いとは言えないようである(小池1996)。

なおニューエイジ関連の書物ではマヤ暦は2012年の冬至付近で終わるとされ、その日を終末論と絡めた形でホピ族の預言が成就する、フォトンベルトに突入する時期としているものが多い(2012年人類滅亡説)。しかしフォトンベルトの存在は皆無に等しく、フォトンベルト関係の予言は非常に信憑性にかけた予言であり、マヤ文明の研究家たちもこれを否定している者が多い。

2009年04月05日

与謝蕪村

与謝 蕪村(よさ ぶそん、よさの ぶそん、享保元年(1716年) - 天明3年12月25日(1784年1月17日))は、江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」、「夜半亭(二世)」があり、画号は「春星」、「謝寅(しゃいん)」など複数の名前を持っている。

摂津国東成郡毛馬村(ひがしなりごおり けまむら)(大阪市都島区毛馬町)に生まれた。

20歳の頃江戸に下り早野巴人(はやの はじん〔夜半亭宋阿(やはんてい そうあ)〕)に師事し俳諧を学ぶ。日本橋石町「時の鐘」辺の師の寓居に住まいした。このときは宰鳥と号していた。

寛保2年(1742年)27歳の時、師が没したあと下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊した。その際の手記を寛保4年(1744年)に雁宕の娘婿で下野国宇都宮(栃木県宇都宮市)の佐藤露鳩(さとう ろきゅう)宅に居寓した際に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で初めて蕪村を号した。

その後丹後、讃岐などを歴遊し42歳の頃京都に居を構えた。この頃与謝を名乗るようになる。母親が丹後与謝の出身だから名乗ったという説もあるが定かではない。
45歳頃に結婚し一人娘くのを儲けた。島原(嶋原)角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には夜半亭二世に推戴されている。

京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明68歳の生涯を閉じた。死因は従来、重症下痢症と診られていたが、最近の調査で心筋梗塞であったとされている[1]。辞世の句は「しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり」。墓所は京都市左京区一乗寺の金福寺(こんぷくじ)。

作家論 [編集]
松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人であり、江戸俳諧中興の祖といわれる。また、俳画の創始者でもある。写実的で絵画的な発句を得意とした。

独創性を失った当時の俳諧を憂い『蕉風回帰』を唱え、絵画用語である『離俗論』を句に適用した天明調の俳諧を確立させた中心的な人物である。

1992年より尾形仂等編で、『蕪村全集』全9巻が講談社で刊行開始、2008年に第5巻「書簡」が出され8巻まで揃った。また岩波文庫で『蕪村俳句集』、『蕪村書簡集』がある。

作品 [編集]
春の海 終日のたりのたり哉
柳散り清水涸れ石処々
鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな
花いばら故郷の路に似たるかな
不二ひとつうづみのこして若葉かな
牡丹散りて打かさなりぬ二三片
夏河を越すうれしさよ手に草履
ゆく春やおもたき琵琶の抱心
易水にねぶか流るゝ寒かな
月天心貧しき町を通りけり
さみだれや大河を前に家二軒
菜の花や月は東に日は西に
涼しさや鐘をはなるゝかねの声
古庭に茶筌花さく椿かな
ちりて後おもかげにたつぼたん哉
あま酒の地獄もちかし箱根山
鰒汁の宿赤々と燈しけり
二村に質屋一軒冬こだち
御火焚や霜うつくしき京の町
寒月や門なき寺の天高し
さくら散苗代水や星月夜
住吉に天満神のむめ咲ぬ
みじか夜や浅瀬にのこる月一片
秋の夜や古き書読む南良法師

俳諧の編著 [編集]
蕪村七部集(其雪影、明烏、一夜四歌仙、続明烏、桃李、五車反古、花鳥篇、続一夜四歌仙)
明烏
夜半楽
新花摘(俳文集)
など。

絵画
山水図(出光美術館)六曲一双 重要文化財 1763年
十便十宜図(川端康成記念会)画帖 国宝 1771年 池大雅との競作。蕪村は十宜図を描く。
紅白梅図(角屋もてなしの文化美術館)襖4面、四曲屏風一隻 重要文化財
蘇鉄図(香川・妙法寺)四曲屏風一双(もと襖) 重要文化財
山野行楽図(東京国立博物館)六曲一双 重要文化財
竹溪訪隠図(個人蔵)掛幅 重要文化財
奥の細道図巻(京都国立博物館)巻子本2巻 重要文化財 1778年
野ざらし紀行図(個人蔵)六曲一隻 重要文化財
奥の細道図屏風(山形美術館)六曲一隻 重要文化財 1779年
奥の細道画巻(逸翁美術館)巻子本2巻 重要文化財 1779年
新緑杜鵑図(文化庁)掛幅 重要文化財
竹林茅屋・柳蔭騎路図(個人蔵)六曲一双 重要文化財
春光晴雨図(個人蔵)掛幅 重要文化財
鳶烏図(北村美術館)掛幅(双幅) 重要文化財
峨嵋露頂図(東京・繭山龍泉堂)巻子 重要文化財
夜色楼台図(個人蔵)掛幅 重要文化財
富嶽列松図(愛知県美術館)掛幅 重要文化財
上記のほか、蕪村の俳諧の門弟でパトロンでもあった寺村百池の家に伝わった絵画、短冊、書状等の遺品一括が「与謝蕪村関係資料」として重要文化財に指定されている(1987年指定、文化庁保管)。

とまま 月の微笑 アテンポ アトゥドア トリビュ ブイWEB イアリン リスト タンザ マルチ ティック ガーナ デジャブ ぴっこ エミュー レーター マルク レンジャー チータ リーシム タカス イミング チャー オペレ トサミズ イチョウ ワラント ギアサン ミヤマ 一意専 ツァーリ テーマ ネメシア チャック プラグ フレンドリー キープトコ えいち リユース パラソル みるいろ ミル スキーヤー ダイウェブ フリータ カツラ ブラジル レジデント パテ シマル


2009年03月21日

2000年頃より冬季の窓ガラス破損事故

客室窓破損防止改造
2000年頃より冬季の窓ガラス破損事故が多発したため、破損防止のため客室窓にポリカーボネート板を追設する工事を行った。最高速度 120 km/h 以上に対応する N183 系・ NN183 系の全車を対象とし、連続窓構造の外枠を上張りして設置された。
基本番台では側窓にフィルムを貼付する対策を実施したが、ポリカーボネート板の追設工事が順次行われている。
トイレの洋式化改造
お座敷車、および「サロベツ」・「利尻」用改造車では真空式汚物処理装置による洋式トイレへの改造を行ったが、引き続き2001年から一部の車両について真空式の洋式トイレを設置する改造が行われた。
※キハ182-39 - 48・224 - 227・504 - 513・2551 - 2562
※キハ183-501・503 - 506
※キロ182-504 - 508・2551 - 2553
※キロハ182-2 - 4・6・10
2006年からはトイレ・洗面所の大規模改造が行われている。これはトイレの洋式化とともに、従来の洗面所・隣接する自動消火装置を撤去し、小便所と扉つきの洗面所を新設するもので、洋式トイレにおむつ替え用台と赤ちゃんホルダーを、洗面所にはエアータオルと更衣用の踏み台、赤ちゃんホルダーを、新たに設置している。
※キハ182-3・11・16・21 - 23・29 - 31

観光・団体・臨時運用への対応 [編集]
「フラノエクスプレス」増結
キハ80系のリゾート編成「フラノエクスプレス」への増結用車両として、1990年1月からキハ184形1両を使用した。
キハ184-11 の制御回路をキハ80系の仕様に変更し、幌高さや外板塗色を同編成に合わせる変更を実施した。本車を組成した5両編成で運用されたが、同年中に増結運用を終了し一般の仕様に復元された。
「ちゃいるどさろん」(キハ183形)
客室内の一部をカーペット敷きとした子供向けの遊び場「ちゃいるどさろん」を設ける改造を1995年から実施した。
「おおぞら」に使用する キハ183-3 の前位側20名分の座席を撤去し、カーペット敷きの空間を設けた。1998年には臨時「オホーツク夏休み」号に使用する キハ183-5・6 に同様の改造を行った。
「オホーツク夏休み」用の2両は同列車の運転終了後に一般の座席へ復され、 キハ183-3 は2007年に「旭山動物園号」編成の1両として改造されている。
「ノースレインボーエクスプレス」代用(キハ183形)
1997年2月に根室本線内で踏切事故に遭遇した「ノースレインボーエクスプレス」編成の先頭車 キハ183-5201 を修理復旧するため、一般車のキハ183形を代用とした。
対象車は キハ183-1 で、外部塗装を キハ183-5201 に準じたものに変更している。[21] キハ183-5201 の修理復旧後すぐに「とかち色」に復し、一般の運用に復帰している。
サクソニ ルンバー ソブー ミルク てやり ライフ レビス 待ちぼう マジシャン 青春 オーバ フェー スクリュー ディトム チグリ ファーレ レギュレ レゾナ クホス フェムド オタク サテュロス マキシ るもい ステッチ チヂミ ボート トップ ジャッ 大同情報 ジュラル ストロ カバオ ルビー ブロー キング イラマチオ 月夜の オブシデ ジップ ギモーブ マッチ 幸運快適 つる菜 ラナイ メコン リイシュー スラッシ ローテー だて

お座敷車(6000番台)
JR北海道が従来より使用するお座敷車(急行形気動車改造)は最高速度 95 km/h であり、団体臨時列車での使用時に所要時間が長くなる難点があった。これらに使用する車両を高速化するため、特急形の本系列を1999年に改造したお座敷車両が本区分である。 N183系 から2両、 NN183 系から1両の3両が改造された。
N183 系の2両は走行用機関と変速機を NN183 系と同一仕様に変更し、 130 km/h 運転対応を全車に実施した。 120 km/h 車とのブレーキ切替機能を装備し、他の本系列全車との連結が可能である。青函トンネル通過対策がなされ、同トンネル内を電気機関車牽引により本州に乗り入れることが可能である。外部塗色は側面上部を濃灰色、正面と側面下部を赤色、車体裾部とスカートを金色としている。
団体臨時列車として単独編成で使用するのみならず、閑散期には定期特急列車に併結して使用することも考慮され、団体使用時は床面を完全にフラットにできるが、定期列車併結時には車内販売や乗務員の往来のため中央部に通路を設けることができる構造とし、左右に2人用と4人用の座卓を設置している。それぞれの座卓の下部は深さ 30 cm の掘り炬燵構造としている。定員はキハ183形が団体使用時46人、キハ182形が56人であるが、定期列車併結時には、それぞれ36人・42人となる。
※キハ183-507・キハ182-514・キハ183-1557 → キハ183-6001・キハ182-6001・キハ183-6101

2009年03月06日

イギリスでは寸法規定に替わり

イギリスでは寸法規定に替わり、海軍本部に属する艦艇監督官が全ての戦列艦を設計するようになった。設計者と建造者を分離する近代的な建造方式の始まりである。種類はさらに統合が行われ、100門、90門(後に98門)、74門、64門の4種類が主流になった。

フランス海軍はイギリスの74門艦に対抗するために2層80門艦を導入したが、これは当時の建造技術では不都合も多くすぐに主流とはならなかった。また100門艦に対して110門艦や120門艦も建造された。

18世紀終盤になると英仏の対立が激化した。特にフランス革命戦争(1792年-1802年)、ナポレオン戦争(1803年-1815年)では世界中で20年以上断続的に交戦状態が続き、戦列艦の需要と発展を促進した。

このような技術的進捗にも関わらず、当時の海戦は低調なものが多かった。これはイギリスとフランスの状況が常に一定で、海戦の形態が固定化されてしまったためである。数的に劣勢なフランス海軍は決戦を回避することが多く、イギリスも有効な打撃を与えられなかった。この状況はイギリスのネルソン提督が戦列戦術に替わって乱戦を多用するまで続いたが、皮肉なことにネルソン戦術が確立されたトラファルガーの海戦(1805年)が最後の戦列艦による大規模な海戦となった。

ナポレオン戦争以降
ナポレオン戦争を最後に第2次百年戦争は終結したが、その後は産業革命による技術革新の成果が戦列艦にも取り入れられるようになった。かつては強度上の不安があった80門以上の2層艦も1820年代から多用されるようになり、経験則に基づいた伝統的設計にかわって帆走性能や砲運用の効率性を追及した設計が普及していった。船体構造も単純な横式構造から発展し、各所に鉄材が使用され始めた。

蒸気推進
このような傾向の中で1850年代には動力としてにスクリューを備えた戦列艦も出現した。最初に建造されたのはフランスのラ・ナポレオンであり、本格的な装甲艦の出現まで約10年間蒸気推進艦の新造が続けられた。この種の艦はイギリスとフランス第二帝政が競って建造し、既存の戦列艦の改装も積極的に行われたが他の国ではそれほど重視されなかった。
バポス ランパン スモーク ワード ねじめ ブルー ケチャ ゴム編み じゃっこ リッチ マリンスノ ラーマー パブコメ フェテ タリア 森の小人 ザイール パパ シエナ ユニット アセビ ムスク フォルタ メンテ ミサンガ ディス ジーンズ ニュート ブラッシ ブロック タイチュー ブルネット フラワー チュート ダブル クーチュ エアリアル スワジ 地平線 セミオート パテント 黒いカバン リンパ バトン 人魚姫 ハンドガン ラスプーチ スイン クラウト ターテー

衰退
大砲の性能が向上すると、多数の大砲を装備するがゆえに、戦列艦は防御上の問題を抱えるようになった。その一方で製綱技術の発達により、蒸気機関を備えた大型艦に装甲板を装着することが出来るようになった。このようにして建造されたのがフランスの木造装甲艦ラ・グロワールである。対してイギリスは直ちに鉄製のウォーリアを建造する。これらの装甲艦は外洋でも使用できる本格的なものだった。加えて1862年のハンプトン・ローズ海戦や1866年のリッサ海戦の結果から非装甲艦は装甲艦に太刀打ちできないという認識が広まり、戦列艦は建造されなくなった。既存の戦列艦は装甲艦への改装を受けたり、廃船として1880年代ごろまで使用された。

2009年02月14日

はぴねす!

魔法に関する逸話が残り、魔法使い養成学校が存在する「瑞穂坂」の地を舞台とした恋愛劇と騒動、またこの地に眠る「秘宝」を巡る争奪戦を描く。
ドタキャン ターム みゅすか オプテ オースト ヌクレ バコマ ソプラ シャン ライナ オオボ チョン ネコン ブロス ロード おおだま バリア チャーム ヤブコウジ シアター 風模様 フェニック ジェット サーチ群青 トウバ マルア コンバレー サンベ ジャンパ アパチャー フィジカ キュリー スカンジ シガー タワナ マンガ グーイ デュオ トリレ ラジアン ピーチ パール チーム ビースト オシロ エリトリア トラッ トデー 樹やしき リュウノヒゲ

キャラクターデザインは同ブランドの「結い橋」・「くれいどるそんぐ」と同じく、こ〜ちゃが担当している。

販売促進活動の一環として、メインヒロインのキャラクターソングを収録したCDシングルがPCショップなどの店頭で販売され、また担当声優のコスプレによる「はぴねす! スーパーライブ」が行われるなど、当時のういんどみるとしては異例の規模で作品宣伝が行われた。ビジュアルファンブックでのインタビューでは「よりライトよりのユーザー層にもアピールしようとした」と語られている。2005年アダルトゲームの年間セールスでは第10位のランクを記録した。

立ち絵がキャラクターの感情表現などに合わせて動き回るういんどみるのお家芸ともいえる演出に加え、今回は魔法戦においてCGが使用されるなど、演出面では派手になっている。またオープニング曲『ZERO』をはじめとした、Elements Gardenデザインによるボーカル曲も評価が高い。コンシューマー版では、Elements Gardenに変わって5pb.の志倉千代丸、T'S MUSICの濱田智之、幡手康隆らが全面的音楽を担当している。
魔法にゆかりのある瑞穂坂で、幼い頃以来魔法と関わらずに生きてきた主人公の小日向雄真。ある事情から養母となった「かーさん」小日向音羽、その娘であるすももと平凡な暮らしをしていた。

しかしバレンタイン前日、悪友の買い物に引き回された帰りに、自分の通う学園の生徒神坂春姫が魔法を使う場面に遭遇し、思わず見とれる。また翌日には成り行きで彼女からバレンタインチョコをもらってしまう。

一方その夜、学園で何者かが魔法で戦闘を行ったために校舎が崩壊するという事件が起こり、そして普通科と魔法科が一時合同になるという知らせが入った。

迎えた新学期、クラス発表の掲示には、冬に出会った春姫の名前があった。彼女の親友柊杏璃も加えての新たな学生生活が始まる。しかし、その裏で学園に紛れ込み、何事かしでかそうとする人物が暗躍していた。波乱に満ちた一ヶ月の先に雄真を待ち受けるのは幸せか、それとも!?

小日向雄真(こひなた ゆうま)
声 - 声なし(少年時代:非公表)/同左/大原崇(少年時代:金田晶代)
本編の主人公。瑞穂坂学園普通科に所属する2年生で、至って普通の青年。現在は養母の音羽、義妹すもも、父と四人で暮らしている。実母から受け継いだ魔法使いの才能は、実母以上で日本最強クラスなのだが幼少期に魔法を使った事で深く心が傷つき、それ以降魔法とはほぼ縁を切って生活している。しかし自分で使う事を恐れているだけで魔法嫌いになったわけではない。また自分から話す必要を感じていない為、魔法が使えたことを周りの人間はあまり知らない。
初対面の高峰小雪から「とても不幸」と指摘されるほどの悪運持ちで、正義感が強く無鉄砲で突っ走ってしまいがちな性格。その性格のために学園で起こっている騒ぎに巻き込まれてしまう事になる。考えている事がすぐ顔に出るらしく、からかわれやすい。周りにいる人間に振り回される事もしばしばである。恋愛に関しては基本的にマイペースで、周りが発破をかけてもあまり意に介さない。
コロッケ好きで、「Oasis」でもいつもコロッケ付きのA定食ばかり頼んでいたりする。ゲーム中では触れられていないが、実は「小日向」は実父の姓である事がビジュアルファンブックにより判明した。父の名は大義(たいぎ)といい、雄真の実母である前妻と別れた後に音羽と再婚している。現在長期出張で不在。
アニメ版では、魔法について否定的な発言が目立つものの本音は原作とさほど変わっていない。生まれつき魔力が強すぎる為、赤ん坊の頃や激高した時は詠唱なしで力が発揮されてしまう体質になっている。
ゲームとアニメとでは、幼少期の事件の内容が若干違う。

メインヒロイン
『はぴねす!』におけるメインヒロインは以下の4人。初回プレイで攻略可能なのは「神坂春姫」「柊杏璃」のみ。この2人いずれかのハッピーエンドを観ると「高峰小雪」「小日向すもも」へのルートに進めるようになる。「小日向すもも」のみ、魔法使いではない。

神坂 春姫(かみさか はるひ)
声 - 榊原ゆい/同左/同左
身長:163cm 3サイズ:90F(『りらっくす』時91F[1])/56/84 靴のサイズ:22.5cm 誕生日:4月1日 A型
瑞穂坂学園魔法科所属の2年生。学園内で起こった事件により、一時的に普通科と魔法科が一緒になった際に雄真と同じクラスになった。才色兼備を絵に描いたような少女で学園のアイドル。その名前と可憐な容姿から「姫」とあだ名される。魔法に関しても1年から突出した成績を持ち、才媛との誉れも高い。
しかし元は魔法と縁のない家庭の生まれであり、その道に入るようになったのは子供の時魔法を使う男の子に出会った事がきっかけ。それ以来その子に強い憧れを抱いている。周りからもてはやされる内に「淑やかな優等生」のイメージが出来また本人もそれらしく振舞っているが、本来は正義感が強く困った人は見過ごせない性格で、小さい頃はたまにいじめっ子をとっちめていたという。可愛い物やイチゴ系のお菓子にはまるで目がなく、目を輝かせて半ば放心状態になる。また、根が素直なせいか、素の状態ではとても自爆しやすい。
親友の杏璃にせっつかれる形で、バレンタインのチョコを雄真に渡してしまっている。花見の席で再会したすももとはかつての友人同士。
魔法使いがいつも持ち歩いている、意志を持ち言葉を話す魔法の杖「マジックワンド」はソプラノ (Soprano)(声 - 佐本二厘/結本ミチル/同左)[2]という名であり、トランペットをもとに作られた。優しい性格で春姫の姉のような役割を持つ。ただ時たま、ちょっとした事でへそを曲げる事もある。
『りらっくす』では、サイズが変わっている事をはじめ胸にかかわるネタが多い。
アニメ版では、占い師の助言を信じて毎年バレンタインにチョコを持ち歩いている、という設定になっている。髪型もPC版と微妙に違っていて、左耳側の三つ編みの結び目にリボンがついている(コミック版も同様)。またナレーション役もこなしている。
柊 杏璃(ひいらぎ あんり)
声 - 成瀬未亜/同左/同左
身長:156cm 3サイズ:83C/54/86 誕生日:7月12日 靴のサイズ:23cm B型
瑞穂坂学園魔法科所属の2年で春姫の親友。ツインテールにした金髪がトレードマーク。普通科と一緒になった際、春姫同様雄真と同じクラスになり、それ以来悪友のような関係になる。感情的でプライドが高く相当の負けず嫌い、特に魔法の成績には相当な執着を示す。また『歩く災害スプリンクラー』と呼ばれている。入学当初から春姫を(ほとんど一方的に)ライバル視しているが、実力は素直に認めており、魔法以外では極めて良好な関係を築いている。また親友思いでお節介な面も持つ。
同学年での魔法成績は二番手。相当な努力家だが本番に弱い。自分に取り得がないと思い悩んでおり、魔法にこだわるのはそのため。
学生生活の傍ら、学園内のカフェテリア「Oasis」の看板ウェイトレスとして店を盛り立てる。その際着ているのは魔法服を改造したロリータファッション風のドレス。私生活は適当で、料理は殆どしたことがない。
春姫とは別の意味で胸に関するネタが多い。
母親を「お母様」と呼んでいた事から、それなりの名家に生まれているらしいことが伺える。ファンブックによると優秀な兄と比較され続けた影響で今の性格になったという。
マジックワンドは母親からもらった羽ペンがもとになったパエリア(Paella)(声 - 滑川菊太郎/川村拓央/同左)[2]。面倒見のよい執事のじいやのような性格。先端の羽の部分は食べることもでき、欠けても自動的に修復される。パリパリした触感で、それなりに美味とのこと。『りらっくす』の杏璃シナリオで実は真性のロリコンということが判明。しかも、羽を食べた人間も男女問わずロリコンになるという効力があるなど意外に迷惑なワンドである。杏璃本人と根っからのロリコンは食べても平気。なお、「ツナガル☆バングル」にてゲスト出演している(セリフはない)。
高峰 小雪(たかみね こゆき)
声 - 日向裕羅/同左/同左
身長:167cm 3サイズ:87E/58/87 誕生日:12月22日 靴のサイズ:24cm AB型
瑞穂坂学園魔法科所属3年生。占い研究会の部長を務める。校舎爆発事件以前から雄真とは知り合い。長い黒髪が印象的な美人で、一見清楚に見えるがその実かなりお茶目で、その神出鬼没ぶりに周りが呆気に取られる事しきりである。
高名な占い師の家系である高峰家の末裔で自らも近い未来を見通すことが出来るのだが、体質なのか不穏な未来が見えることが多く、しかもその予見がほぼ確実に当たってしまう。会う度に不吉なことを言って雄真をからかっているが、最初から彼が何者かを知っていて、雄真本人も知らない雄真自身のことも知っている。自分のことには鈍い。
何故かカレーが大好きで、またカレーしか作れない。学園敷地内の公園にある桜がお気に入りで、時々そこで何とはなしに座っている姿が見られる。魔法使いとしての服装のとき以外、常に衣服の上にポケットつきのエプロンを着用しており、そのポケットは収納力が尋常ではないどころか、食べ物が温まったまま出て来たりカニが生きたまま出て来たり、果ては家電や水道や電話までもが出てくるという、ドラえもんの四次元ポケット級の代物。本人曰く、「魔法」。アニメ版ではエプロンの設定が変更されており、タマちゃん1つを消費して任意の物体を出現させるようになっている。『りらっくす』小雪シナリオでは、エプロン無し(魔法服)で弁当を出したことがある。帽子の中に「何か」秘密がある様だが、一瞬なので見えない。
愛用マジックワンドは杖と空中に浮く球がセットになったスフィアタム(sphere Tom)(声 - 成瀬未亜/同左/同左)[2]、通称タマちゃん。球体部は関西弁を話し、威勢がよく、小雪を「姉さん」と呼ぶ。恐ろしく多機能で、爆発する(ちょっとしたことでよく自爆させられる。しかも誘爆する)意外にも弁当が作れる、露店の店番が出来る、盗聴器の代用になる、超音速アクロバット飛行可能、生活防水仕様等の能力を持つ。部室等にスペアらしき物(残機)が大量に保管されている(『りらっくす』小雪シナリオでは、画面上にタマちゃんの残機ゲージが表示されるシーンがある。ついでに爆音と共にゲージが減る)。粘土のような物体を丸くこねる事で作られているが、こねた人物の性格に似る事があるらしい。
小日向 すもも(こひなた すもも)
声 - 安玖深音/後藤麻衣/同左
身長:152cm 3サイズ:77A/53/83 誕生日:4月30日 靴のサイズ:22cm O型
新年度から後輩として瑞穂坂学園普通科に通うこととなった、雄真の義妹。音羽の実の娘である。普段はとてもしっかりしており、料理の腕も抜群であるが、時間の流れが他人とズレているためか慌て者で危なっかしいところもある。小さい頃はいじめられっこで、まだ義兄ではなかった頃の雄真に何度も助けられていた。雄真を「兄さん」と呼び、普段から丁寧語で話す。親同士の再婚以前から雄真とは知り合いだった。
雄真のことを「幸せにしてあげたい」と語る一方自分を見て欲しいという感情もあり、雄真が他の子と仲良くしているところを知ると、不機嫌になって夕飯を少なくするなどの八つ当たりをする。また雄真に対する感情を割り切ろうとしてうまくいかなかったりといった、アンバランスな部分もある。
小さくて可愛い子に目がなく、また一度お気に入りになった子とは何が何でも仲良くしたいたちで、入学以来式守伊吹を毎日のように追い掛け回している。学園で再会した春姫とは以前親友同士で、彼女にもいじめっ子から助けられていた。
時々音羽直伝の泣き落としで、雄真や伊吹を誘惑する。ルートによっては「結い橋」に出てきた初代「Oasis」の制服(メイド服)姿になる。
アニメでは、第9話におけるある事件が原因で、昏睡状態に陥ったことがある。
頭に大きな紅いリボンをしている。

サブヒロイン
以下の2人はメインヒロイン4人のハッピーエンドをすべて観た後で攻略可能となる。PC版ではルートは共通でHシーンがそれぞれ加えられているだけだが、PS2版では個別のエンドになる。

式守 伊吹(しきもり いぶき)
声 - みる/壱智村小真/同左
身長:145cm 3サイズ:67AA/48/70 誕生日:9月12日 靴のサイズ:20.5cm B型
瑞穂坂学園魔法科1年。銀髪と赤い瞳が特徴。この地において最も高名な家柄である式守家の後継者として見られている人物。そのため普段から古風かつ尊大な口調でしゃべるが、外見が小さいためあまり威厳がなく、自分でもそれは気にしているらしい。本来は分家の人間で、姉と慕っていた那津音の死を受けて跡取りに指名された経緯を持つが、その事を重荷に感じている。
実は学園に眠る「秘宝」を奪うべく新入生として学園に入り込んだ人物で、今作品に於ける騒動の黒幕、そして類稀な魔力を持った術者である。御薙鈴莉とは何らかの因縁があるらしく、また鈴莉の魔法を使う春姫を鈴莉の子と誤解し付け狙っている。
すももの友人(とすももの方は主張している)でもあるが、半ば強引なアタックに振り回されている。前半パートではギャグ担当として扱われる事も多い。
マジックワンドは伊吹の身長と同じくらい大きな傘の形をしたビサイム(Bisaim)(声 - 岬友美/星野千寿子/同左)[2]。式守家の宗主によって作られたもので非常に強い力を持ち、少しだが本来マジックワンドには使えないはずの魔法が使える。お目付け役のような存在で、人前では殆ど話さないが、伊吹と二人きり (?) の時は説教をしているようだ。『りらっくす』で一気に口数が増えた。
分類上はサブキャラクターでありながら、騒動の中心人物という立場から目立っている。また『りらっくす』からはヒロインの一人として数えられているが、本編と比べて丸くなっている。2007年9月現在公式HPのエントランスにもSDキャラで登場。
アニメ版では初夏から瑞穂坂に転校して来る。やはり春姫を敵視している一方、こちらではその春姫との交友シーンも描かれている。秘宝奪取の目的が原作とはわずかに異なる。
上条 沙耶(かみじょう さや)
声 - 三咲里奈/伊藤静/同左
身長:160cm 3サイズ:76A/55/80 誕生日:11月15日 靴のサイズ:21cm A型
春から瑞穂坂学園魔法科に編入してきた2年生。上条信哉の双子の妹。いまどき珍しいほどに奥ゆかしく控えめであり、また恥ずかしがり屋で他人、特に男性と話すのが幾分苦手(ただし雄真と準は例外)。ただ兄を諌める際マジックワンドで殴るなど意外に容赦がない。また信念の強いところも備え持っている。今は暴走する兄のブレーキ役をする事もあるが、以前は雷や嵐などを恐がりしばしば兄に甘えていた。ややブラコン気味のところがある。
実は式守家の従者の家系であり、伊吹に付き従う形で編入してきた。しかし沙耶自身は伊吹の身を心から案じており、表立って秘宝奪取のために行動する事が少なく、密かに止めようとすることも。
伊吹同様に『りらっくす』からヒロイン格として扱われる。
マジックワンドはヴァイオリン型のサンバッハ(Sanbach)。弾くことによって幻想的な魔法を紡ぎだすことができる。劇中セリフは発していない。沙耶と同様、上品で控えめな性格。
母は既に他界している。

その他の人物
渡良瀬 準(わたらせ じゅん)
声 - 佐本二厘/結本ミチル/同左
身長:156cm 3サイズ:秘密 誕生日:9月20日 靴のサイズ:23cm AB型
中学生時代ごろから腐れ縁の雄真の悪友その2(製作者側はどちらかといえば「その1」と言っている)。一見美少女と見紛う容姿を持っているが正体はれっきとした男である。本人も男性と自覚しているが、その上であえて女性であるかのように振舞っている。男でも女でも可愛いものは大好きで、「Love&Peace」がモットー。社交性とサービス精神に富んだ性格。本人にとって女装は趣味ではなく自然の状態だという。
恋愛感情に近いものを雄真に対して抱いているが、友情に厚い一面もあるため雄真の恋路は応援している。たまに抱きついたり手作り弁当を突然出してきたりするが、彼なりの境界線は持っている模様。
女性向けの人気ファッション雑誌で読者モデルとして活躍中である。また学園内にファンクラブが存在するほどの人気者でもある。
現実でもヒロイン格に負けず劣らず人気で、サブキャラ的な存在であるにも関わらず一部の熱狂的なファンの間では「準にゃん」などと呼ばれメインキャラを凌駕する程の絶大な人気を得ている。彼のグッズもいくつか売られている。
「コンプティーク」9月号のインタビューで、「女性に見える男キャラは珍しい話ではないと思っていた」とこ〜ちゃがコメントしており、製作側の想定以上に反響が大きかったことがうかがい知れる。
必殺技は「パトリオットミサイルキック」。
『りらっくす』中のシナリオ『ぱちねす!』では、雄真との馴れ初めが明かされた。また、誰かから「まんじゅう」がデザインされたマジックアイテムを渡されている。展開によっては女性に変身するが元々女性にしか見えないので殆ど変わらない。
高溝 八輔(たかみぞ はちすけ)
声 - 滑川菊太郎/川村拓央/同左(少年時代:田内友み)
身長:176cm O型
主人公の悪友その1。あだ名はハチ。興奮すると騒がしくなる為「大声魔人」とも呼ばれる。根はいい人物なのだが暴走志向の強い三枚目キャラ。特に女の子の事になるとあらぬ妄想を繰り広げたり激しく愛をアピールしたりするが基本的に相手にされない。暴走の結果準か杏璃あたりに痛い目に遭わされるのがオチとなっている。立ち直りだけは早い。
ギャグパート以外の本編での活躍は、前半のイベントを企画した程度で、それも準や小雪の悪ノリで乗っ取られた。
何だかんだで雄真とは付き合いが長いため、彼の無鉄砲ぶりを笑って見逃したりするが、そういった友人としての部分は殆どが準の担当になっている。突っ込んでくれる人がいないと調子が出ないらしく、そういう場合大人しい。
『りらっくす』では、何故かタマちゃんがあしらわれた私服を持っている。本人非公認と思われる「神坂春姫ファンクラブ」に加入しているらしい。
自分で全属性をカバーと言うだけあり、パエリアを食してロリコン趣味にならなかった。パエリア曰く、「真性」。
アニメ版では準以上に雄真との付き合いが長いようで、かつて幼少期の事件で心を閉ざしていた雄真に対して屈託なく接し、雄真の心を開いたらしい。
上条 信哉(かみじょう しんや)
声 - ヘルシー太郎/伊藤健太郎/同左(少年時代:佐藤有世)
身長:180cm A型
沙耶とともに魔法科2年に転入してきた、彼女の双子の兄。武士を思わせる時代錯誤した口調で話す。義理堅く融通がきかない性格。シスコンだが、本人はそれを恥と思っていない。妹の事になると完全に見境が付かなくなり暴走する事もしばしばある。極度の方向音痴で、新学期早々小学校に紛れ込むなどボケをかましていた。玄米を主食としているらしい。伝説のキワ物メニュー「生ハムイチゴサンド」が大好物。
沙耶と同じく伊吹の従者で、秘宝のありかを探るべく暗躍する。その行動に若干の疑問を抱いているが、父親の事件に関する負い目と伊吹への義理のために逆らうことが出来ないでいる。
破壊力・魔法抵抗力の両方に優れた木刀型のマジックワンド風神雷神を操る。持ち主同様に武人的性格と言われるが、やはりゲーム中では発言していない。
元々一人称は「俺」だったが、アニメ版では第5話のみ「拙者」になっている。また、妹の危機とあらば、たとえ山の向こうからでも人間離れした速度で走ってくるという演出がなされている。
小日向 音羽(こひなた おとは)
声 - 岬友美/星野千寿子/同左
身長:153cm O型
雄真の養母ですももの実の母親。雄真から「かーさん」と呼ばれる。カフェテリア「Oasis」のチーフでもある。御薙鈴莉の親友であるが、見た目もノリも一見学生のようであり、鈴莉とは別の意味で一児の母に見えない。とかく面白い事好きで何にでも首を突っ込みたがる性格。特に雄真の交友関係(女性関係)には目ざとく、どこかで情報を掴んではしばしばちょっかいを出してくる。以前は派手なイタズラを繰り返していたらしく、鈴莉からはその昔のイタズラネタでからかわれやすい。
色仕掛けと泣き落としで新聞の集金から時々チケットなどをせしめる事がある。基本的には能天気だが、雄真が魔法の道を諦めた事件を知る、数少ない人物でもある。
実はバツ1で、現在の夫は雄真の実父。前の夫の姓名、現在の消息は明らかにされていない。高峰ゆずはの旧友でもあり、何かと魔法使いと関わりがある人物。アニメでは杏璃の代わりに特注のウェイトレス服で仕事をしたり、スクール水着姿を披露したりしている。
御薙 鈴莉(みなぎ すずり)
声 - 北都南/ひと美/同左
身長:170cm B型
瑞穂坂学園魔法科の教諭。若くして独自の魔法理論を組み上げた事で学会から注目を集めている魔法使い。その力は高く、作中では伊吹と渡り合える実力を持つ数少ない人物。春姫の直接の師匠であり、彼女に自らが操る系統の呪文を教えている。春姫をして「鈴莉に会わなければ今の自分はなかった」と言わしめる恩人である。
かつては夫と一人息子がいたがある事情から別れている。しかしあまりに若々しいためにとても一児の母に見えない。普段は穏和でどこか掴み所のない部分があるが、時々狙い済ましたように鋭い一言を発する。また笑顔で物騒な事を言い出すなど恐ろしい一面を持つ。音羽、ゆずはとは学生時代からの親友同士で、昔は色々としていたらしい。ある理由から雄真に関心を抱く。
実は、雄真の実の母親で、雄真を音羽に預ける際に自分に関する記憶を封印した。
式守 那津音(しきもり なつね)
現式守家当主護国(さねくに)の実の娘で、式守家の後継者だったが、事故で早世する。その際に次期後継者として義妹である伊吹を指名していた。
幼少期の小雪や伊吹から姉のように慕われていた。劇中では本編で一度だけ、巫女装束の姿で登場する。伊吹同様に銀髪と赤い瞳を持つ。
アニメでは伊吹の回想及び、秘法の暴走を命をかけて止めたシーンで登場。ゆずは、鈴莉とも知己であった。護国も最終話にてわずかに登場した。
高峰 ゆずは(たかみね ゆずは)
声 - 非公表/本間ゆかり/同左
瑞穂坂学園の理事長にして高峰小雪の母親。占い師としては彼女に並ぶ者はまずいないと言われるほどの使い手であるが、海外に行ってまで本場の物を求めるほどのお酒好きで、さらに酒癖が悪いという。音羽、鈴莉の旧友で、鈴莉を「すーちゃん」と呼ぶ。
声のみだが『りらっくす』で出演し、『ぱちねす!』世界に関わる立ち回りを演じている。アニメ版では鈴莉の回想シーンに登場。
上条 崇夜(かみじょう そうや)
声 - 声なし/同左/内藤玲
信哉と沙耶の父親。早くに妻を亡くしている。10年前にある理由で深刻な事件を起こしてしまい、それが主要人物の一部に、良悪を問わず多くの影響を残している。原作では存在のみが語られており、アニメ版で姿が設定された。
まんじゅう
声 - 複数
ういんどみる作品にたびたび登場する背景キャラクター。その名が示すとおりいびつな半球型の生き物。「もきゅもきゅ」と話す。瑞穂坂においても至るところでグッズ化、オブジェ化されている。まんじゅう本人が登場する場合は、魔力を持った生物の一種という扱いになっている。
なお、準が渡されたマジックアイテムにはまんじゅうが意匠されている。

「まーじゃんもりらっくす」ゲストキャラクター
有坂まつり(結い橋)
声 - ミルキーゆかり
有坂詩奈(結い橋)
声 - 日向裕羅
レア・ティータ(くれいどるそんぐ)
声 - 日向裕羅
メティス・ゼウ・ジュピス(くれいどるそんぐ)
声 - 成瀬未亜
桃園かりん(魔法とHのカンケイ)
声 - 野神奈々
鷺沼エリカ(魔法とHのカンケイ)
声 - 安玖深音
神代ことり(ちょっと素直にどんぶり感情)
声 - 風華
神代珠美(ちょっと素直にどんぶり感情)
声 - 北都南

2009年01月28日

レンネル島沖海戦

レンネル島沖海戦とは太平洋戦争中、1943年1月29日から30日にソロモン諸島レンネル島沖で発生した海戦。日本軍が航空攻撃でアメリカ軍の重巡洋艦シカゴ (USS Chicago, CA-29) を撃沈した。また、この海戦でアメリカ軍は近接信管を使用した。日本軍はガダルカナル撤退作戦の最中であり、島に近付く敵を阻止する必要があった。

1月29日、日本軍の偵察機がサンクリストバル島の南でアメリカ艦隊(護衛空母2、重巡洋艦3、軽巡洋艦3、駆逐艦8)を発見した。これはギフェン少将の指揮する、ガダルカナル島の部隊の交代要員を乗せた輸送船を護衛する艦隊であった。また、その後方には空母エンタープライズ、サラトガを基幹とする艦隊が援護のためにいたが日本軍はこの艦隊は発見できていない。

敵艦隊を発見した日本軍は、ラバウル、バラレ、ブカ、ショートランドから触接機を発進させた。

日本軍は、攻撃が太陽が没する直前の薄暮になるようにわざと時間を遅らせてラバウルから攻撃隊を発進させた。まず12時35分に第705航空隊の一式陸攻16機が、続いて12時45分に第701航空隊の96式陸攻22機が発進した。指揮官は701空飛行長檜貝襄治少佐。なお、第701航空隊の22機のうち7機は夜間攻撃用の照明隊である。また、第705航空隊のうち1機は故障のため引返している。

ギフェン隊は19時に駆逐艦4隻と合流予定であり、その時間に遅れそうであったため低速の護衛空母を護衛の駆逐艦2隻と共に分離した。

日没後の17時19分、第705航空隊が攻撃を開始したが戦果はなく対空砲火で1機を失った。その後触接機が照明弾を投下した。17時40分、第701航空隊が攻撃を開始した。この攻撃で重巡洋艦シカゴに2本、ルイビル、ウイチタに各1本の魚雷が命中した。シカゴは大破したがルイビルとウイチタに命中した魚雷は不発だった。日本軍は指揮官機を含む2機を失った。

翌30日、日本軍は再びギフェン隊を発見、10時15分、ブカ島から第751航空隊の一式陸攻11機が発進した。14時6分、攻撃隊はギフェン隊を発見、攻撃を開始した。空母エンタープライズからの直援機などにより攻撃隊は陸攻11機のうち7機が撃墜されたが、損傷して曳航中のシカゴに魚雷4本を命中させて撃沈、駆逐艦ラ・ヴァレットにも魚雷1本を命中させ大破させた。

日本の大本営は戦艦2隻、巡洋艦2隻撃沈、戦艦1隻、巡洋艦1隻中破、戦闘機3機撃墜と発表した。

アメリカ軍は重巡洋艦1隻沈没、駆逐艦1隻大破の損害を受けたが、輸送船は無事にガダルカナル島に到着できた。日本軍もガダルカナル撤退を察知されることなく作戦目的を達した。

ルンガ沖夜戦(-おきやせん)とは、1942年11月30日夜にガダルカナル島ルンガ岬の沖にて日本海軍とアメリカ海軍の間で行われた海戦である。連合軍側の名称はタサファロング沖海戦(Battle of Tassafaronga)。

経緯
第三次ソロモン海戦(1942年11月14日)後、ガダルカナル島周辺海域の制空権を失った日本海軍は、同島の日本陸軍への補給を闇夜に駆逐艦の高速に頼って行うしかなかった。この輸送は、自嘲的に鼠輸送(米軍側は「Tokyo Express(東京急行)」)と呼ばれた。この輸送をいち早く察知した米海軍は、その阻止のためにカールトン・ライト少将率いる第67任務部隊(ライト部隊)をガダルカナル島沖に派遣する。

一方、日本軍では田中頼三少将率いる第二水雷戦隊(略称:二水戦 にすいせん)の駆逐艦8隻で構成される輸送部隊が1942年11月29日、ショートランドを出撃し、一路ガダルカナルへ向かっていた。

この輸送では短時間で確実に食料を日本軍陸上部隊に供給するために、洗浄したドラム缶に糧食を半分だけ詰めて密封(これでドラム缶は浮く)、これをロープで数珠つなぎにしてガダルカナル沿岸で海上に投入しロープの端を海岸の日本軍陸上部隊に渡して、ドラム缶を手繰り寄せる方法をとった。この部隊はそのために、警戒隊として参加する旗艦「長波」、「高波」を除いた駆逐艦6隻の次発装填用予備魚雷を陸揚げして、その空いたスペースも含めて各艦200?240個のドラム缶を積載していた。

昼間は第一警戒航行序列(三列梯形)、夜間は第二警戒航行序列(単縦陣)で米軍の奇襲を警戒しつつ進撃した。

参加艦艇
日本
第一次ガ島増援部隊(田中頼三少将)
第二水雷戦隊(田中少将直卒)
警戒隊
第三一駆逐隊:駆逐艦「長波」「高波」
第1輸送隊
第一五駆逐隊:駆逐艦「黒潮」「親潮」「陽炎」
第三一駆逐隊:駆逐艦「巻波」
第2輸送隊
第二四駆逐隊:駆逐艦「江風」「涼風」

アメリカ
第67任務部隊(カールトン・H・ライト少将)
重巡「ミネアポリス」「ノーザンプトン」「ペンサコラ」「ニューオリンズ」
軽巡「ホノルル」
駆逐艦「フレッチャー」「ドレイトン」「モーリー」「パーキンス」「ラムソン」「ラードナー」

戦闘経過と結果
11月30日19時40分(以後時間表記は数字のみ)、日本艦隊はガダルカナル島近海に到達する。この際の日本艦隊の隊列は田中少将座乗の旗艦「長波」が日本軍伝統の指揮官先頭に反し、隊列中央に配される形で形成されており、先頭から警戒隊の「高波」、第15駆逐隊の「黒潮」「親潮」「陽炎」、第31駆逐隊の「巻波」、旗艦「長波」、第24駆逐隊の「江風」「涼風」の順に配列されていた。

2000、「高波」が前路警戒のため先行、艦隊から分離する。艦隊は陸上部隊の待つタサファロング泊地へ向け、速度を30?から減速しつつドラム缶の投入準備を始めた。この時、ガダルカナル沖合の天候は晴れ、北東の風4m、視程10km、月齢21とかなり見通しのいい夜であった。

2106、アメリカ艦隊が日本艦隊を発見する。ライト部隊の旗艦・重巡「ミネアポリス」のレーダーが前方20kmに日本艦隊の隊列を探知。ライト少将は攻撃をかけるべく平行反航態勢に米艦隊の針路を設定し直ちに攻撃態勢をとった。

2112、日本艦隊もアメリカ艦隊を発見する。単艦で前路警戒についていた「高波」見張員が左45度、距離6000mに敵駆逐艦を発見。直ちに「高波」から日本艦隊へ「敵発見」の緊急警報が発せられたが、距離的に近すぎ、揚陸準備に入っていた日本軍としてはほぼ奇襲を受けた形になった。「高波」は艦長小倉正身中佐が即座に「左砲雷同時戦」の命令を下し襲撃運動に入った。一方で輸送隊でも2113、「黒潮」見張員が敵艦隊を発見したが、本来の輸送任務を優先して米艦隊をやり過ごそうとしていた。しかし、米艦隊の動きは明らかに輸送隊に対しての攻撃運動であることが見張員の報告から明らかになり、2116、田中少将は麾下部隊に対し「揚陸止め!戦闘、全軍突撃せよ」との命令を下す。各艦は直ちにドラム缶を固縛しなおし、固縛が間に合わなかったものや、魚雷発射の邪魔になるドラム缶は海中投棄し、増速しつつ魚雷の起動弁を開いて襲撃運動に入った。
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2120、ライト少将は前衛部隊の駆逐艦4隻に攻撃開始を許可する。この時点で「高波」は前衛部隊の魚雷の射界から外れており、代わりに輸送隊に対してレーダー照準で魚雷を計20本発射した。しかしこれらの魚雷は距離が遠すぎて届かなかったり、あらぬ方向に走っていったりと一本も命中しなかった。しかし、巡洋艦部隊が距離9000mで砲撃を開始。その全てが一番米艦隊に接近していた「高波」への砲撃であった。

敵艦隊の猛烈な砲撃を受けた「高波」ではあったが果敢にも反撃に転ずる。主砲による初弾が敵駆逐艦に命中、更に第二斉射も別の敵駆逐艦に命中。両艦は火災となり、この火災の明かりが米艦隊をくっきりと浮かび上がらせることになる。「高波」は魚雷8本も発射したが直後に一番、二番連管に立て続けに被弾し、更に缶室にも被弾、航行不能となる。この後五十発以上の砲弾を浴び、艦橋、主砲は全滅。洋上に停止し炎上することとなった。

「高波」が集中攻撃を浴びている間に輸送隊は態勢を立て直していた。まず旗艦「長波」が射点を捉えて魚雷を発射すると右反転して避退した。続く第二輸送隊の「江風」、「涼風」も魚雷を発射すると左反転、「長波」を追うように避退する。隊列の先頭を行く第一輸送隊の駆逐艦4隻は第十五駆逐隊司令佐藤寅治郎大佐に率いられ一旦米艦隊をやり過ごすために東進してから右反転。ここで「陽炎」と「巻波」が前続艦を見失って分離する。しかし残った「黒潮」と「親潮」は敵艦隊の左舷後方からじっくり狙い、2128、「黒潮」が魚雷を発射すると「親潮」も魚雷を発射して戦場を離脱していった。

こうして日本軍の攻撃は終了し、次発装填魚雷が無いため戦場離脱を図った日本軍を尻目に米艦隊は「高波」に集中砲撃を浴びせ続けていた。そこへ日本軍の魚雷が襲い掛かったのである。 日本軍のどの艦の発射した魚雷がどの米艦に命中したのかは、余りにも日本軍の発射本数が多くまた時間も重複したため明らかではないが、とにかくこれで米巡洋艦部隊は壊滅的被害を受けた。

2127、先頭を行く「ミネアポリス」が被雷したのを皮切りに、米艦隊は次々に被雷、壊滅的な損害を被ることになる。

一番艦の重巡「ミネアポリス」は艦首に2本被雷。同艦は艦首が第一砲塔直前から垂れ下がって、速力が急速に低下して戦列を離脱する。
二番艦の重巡「ニューオリンズ」は、速力低下を起こした旗艦を回避しようと面舵を取った直後に左舷前部に魚雷が一本命中。これが第一砲塔弾薬庫を誘爆させて二番砲塔前部から艦首が切断。「ニューオリンズ」艦尾にいた水兵が沈没していく「ミネアポリス」とすれ違ったと思い、よくよく見てみると40m近くも切断された自艦の艦首部が流れていくところだったという証言も残っている。同艦は速力が5ktまで低下し、この後必死の戦場離脱を図ることとなる。

三番艦の重巡「ペンサコラ」は「ミネアポリス」を避けるため取舵をとった直後にやはり被雷。艦橋直下に命中した1本の魚雷により重油タンクに火がついた同艦は大火災を起こしたが、主砲電路と共に消防主管も破壊されたために消火活動も出来ずにこの艦もまた戦場離脱を図ることとなった。
四番艦の軽巡「ホノルル」は被雷せず、前の3艦を避けて艦隊右前方に進出して避退していく日本軍に対して砲撃を仕掛けたが、一発も命中しなかった。
五番艦の重巡「ノーザンプトン」は「ホノルル」のような幸運は巡ってこなかった。「ペンサコラ」被雷より10分後、第一輸送隊からはぐれて2艦のみで追撃してきた「陽炎」と「巻波」が絶好の射点から魚雷を発射。この魚雷が「ノーザンプトン」の左舷後部に2本命中。機関室に大穴をあけられた「ノーザンプトン」はたちまち航行不能となり、左舷に急速に傾斜すると転覆、艦尾から沈んでいった。
米駆逐艦部隊は前衛として4隻、後衛として2隻いたが巡洋艦部隊が壊滅していくのを見て戦場を離脱していった。

こうしてこの海戦は終了した。日本駆逐艦は「高波」を除いて全て戦場を離脱しており、米艦隊も無事な艦は一旦戦場を離脱していた。戦場に残されていたのは炎上し続けていた「高波」と深刻な損傷を受けた米重巡3隻のみであった。日本軍はサボ島西方海面まで一旦離脱した後、田中少将から命令を受けた第十五駆逐隊の「黒潮」「親潮」が「高波」の生存者救出に戦闘海域に引き返す。2300、「高波」に横付け作業を始めた「黒潮」と「親潮」であったがこの直後、見張員が距離3000mに米重巡を発見。魚雷を撃ちつくした駆逐艦2隻では重巡と勝負にならないので、やむなく両艦は生存者救助を打ち切って戦場を離脱した。この米巡洋艦は「高波」に500mまで接近したが、何もせずにそのまま離れていったという。この巡洋艦は「ペンサコラ」であったといわれている。(先述したように「ペンサコラ」は主砲電路を断たれていた)「高波」はその後、急速に傾いたために生存者は次々と海に飛び込み退去したが、その直後に米駆逐艦が接近して「高波」に魚雷を発射、このうち一本が「高波」に命中して同艦は沈没。この際、搭載爆雷が誘爆して付近を泳いでいた生存者が次々と圧死した。さらに「高波」から流出していた重油に引火して火災となり、相当数の戦死者を出すこととなった。結局、ガダルカナルの日本軍基地までたどり着いた生存者は准士官以上4名、下士官兵29名の僅か33名であった。

海戦後
海戦には勝ったとはいえ、目的であった輸送には失敗した日本軍は四日後の12月3日、再び田中少将指揮の下、ルンガ沖海戦の残存艦に第四駆逐隊(「嵐」「野分」)と駆逐艦「夕暮」の計10隻の駆逐艦により第二次輸送作戦を行った。この部隊は進撃中に延べ80機にも及ぶ断続的な空襲を受けたが、上空直掩の零戦隊の活躍もあり、「巻波」が至近弾で小破しただけでタサファロング泊地に1500個のドラム缶を投入。12月4日に無事ショートランドに帰投した。ところが、この投入したドラム缶群は明け方になって米戦闘機部隊の銃撃によって大半が沈められてしまい、陸上部隊が回収できたのは僅か310個に過ぎなかった。本来は夜のうちに回収する予定であったが、飢えて体力の落ちた陸上部隊の兵たちが、ドラム缶引揚の重労働に耐えられなかったのである。

更に輸送作戦は続いたが、12月7日に開始された第三次輸送は空襲により「野分」が大破、航行不能となった上、タサファロング泊地で米魚雷艇の激しい妨害攻撃に遭いドラム缶投入を断念。12月11日に開始された第四次輸送では山本五十六連合艦隊司令長官の直々の激励電文が発せられるなど、日本海軍の威信をかけた作戦であったが、ドラム缶投入中に就役したばかりの最新鋭駆逐艦であった旗艦「照月」が米魚雷艇の攻撃を受け魚雷2本が命中、撃沈される被害を受けた。更に1200個投入したドラム缶がやはり敵戦闘機の銃撃でわずか220個しか陸上部隊が回収できなかった。

この作戦失敗により駆逐艦輸送は断念され空中補給及び潜水艦輸送(もぐら輸送と呼ばれた)に切り替えられたが、これも被害が多い割には成果も上がらず、12月27日、大本営で行われた図上演習で「ガ島奪回の成算無し」との結果が出るに至り、12月31日、御前会議にてガダルカナル島撤退が正式決定された。

評価
この戦いは戦術的には日本軍の一方的勝利といってよい。これは九三式魚雷、通称酸素魚雷に拠るところが大きい。この魚雷は当時の魚雷の中では最大級の破壊力を持つものであり、直径61cm、頭部の炸薬は490kgとアメリカ軍の艦載用魚雷であったMk.15魚雷の直径53cm、炸薬375kgに比べ段違いの破壊力で、且つMk.15の射程4500m/45ktに対して酸素魚雷は射程20,000m/48ktと4倍以上の射程がある上、航跡がほとんど見えないので発見が困難という強力な兵器であった。日本軍の駆逐艦の中では白露型駆逐艦から搭載されており、この海戦に参加した日本軍の駆逐艦は白露型駆逐艦の「江風」、「涼風」を除いて全て最新鋭の水雷戦用艦隊型駆逐艦である陽炎型駆逐艦及びその改良型である夕雲型駆逐艦であり、全艦が九三式魚雷搭載艦であった。従って米巡洋艦部隊は回避する間もなく立て続けに被雷した上に、たった一本の被雷で戦闘不能に追い込まれるような大損害を被ったのである。

しかし、日本軍は海戦では大勝利を挙げたものの肝心の輸送作戦としては完全に失敗であった。従って日本軍の完全な戦術的勝利ではあったが、輸送作戦を阻止したということではアメリカ軍の完全な戦略的勝利でもあった。そして以後、太平洋戦争の海戦における夜戦において日本軍の完全勝利といえるものはこの海戦が最後となる[1]。

また、この戦いでは日本軍に対する評価、特に田中少将の指揮に対して日本とアメリカでの評価が180°異なる。

日本軍側の評価
日本軍側では田中少将に対して非常に批判的であった。その理由は大きく分けて二つある。

田中少将の旗艦「長波」は戦闘が始まると真っ先に魚雷を撃ってさっさと避退してしまい、以後二水戦司令部は全く指揮を取らなかった。これにより統制された指揮が行われず、"被害担任艦"となった「高波」が一身に米艦隊の攻撃を受けて時間を稼いでくれたおかげで他の艦は態勢を立て直して攻撃をかけることが出来、また各駆逐艦艦長及び各駆逐隊司令の適切な判断により大きな戦果を挙げられたのであり二水戦司令部の功績ではない。また、「長波」は「高波」が沈没した後では日本艦隊の中では唯一次発装填魚雷を持っていた(先述したように「長波」「高波」は警戒隊であったため次発装填魚雷を下ろしていない)にも関わらず、再攻撃を企図しようともしていない上、魚雷を撃ち尽くしたほぼ丸腰に近い第十五駆逐隊のみでの生存者救助の為の戦場再突入命令を出している。
艦隊の隊列が日本軍伝統の"指揮官先頭"ではなく旗艦「長波」は隊列中央に配置されていた。これは司令部が逃げ腰であったことの証左である。
これらは特に実際に戦った駆逐艦長クラス、隊司令クラスから出た批判であり、これが影響したのか海戦から一ヵ月後、田中少将は突如二水戦司令官を解任され以後二度と海上勤務に戻ることは無かった。

アメリカ軍側の評価
アメリカ軍は田中少将の指揮を絶賛している。これは突撃命令を出した時期が極めて適切であって、十分敵を引き付けておいて突撃命令を出しその飽和雷撃によって米巡洋艦部隊に大打撃を与えたその判断力とよく訓練された日本の駆逐艦部隊の動きを絶賛し、アメリカ軍巡洋艦部隊は正にしてやられた、としている。むしろ被害担任艦になった「高波」は日本軍の態勢が整う前に過早に発砲したので一方的な攻撃を受けることとなった、と批判している。そして「田中こそ不屈の闘将である」と言って、田中少将に「タフネス田中」というあだ名をつけた。

田中少将は解任された件に関してその後の生涯において一切語らなかった。ただ、アメリカ側からの評価については「私は突撃命令を出しただけ。後は全部部下の功績」と語っており、1969年に没している。

損害
日本
沈没:駆逐艦「高波」

[編集] アメリカ
沈没:重巡「ノーザンプトン」
大破:重巡「ミネアポリス」「ペンサコラ」「ニューオリンズ」
^ この後もコロンバンガラ島沖海戦のように、日本軍の大勝利と言える海戦は散見される。しかしながら損傷艦については一般に周知されにくいため、知名度の点で大きく劣っている現状は否めない。